面倒なじじいのブログ

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越冬ツバメ

女盛りを無駄にするな・・・ついて来いよと泣いてますと、森昌子さんのヒット曲ですが??何かおかしいって話です。悲しみ本線日本海と結びついて、イメージとしては糸魚川あたりかな。ついてどこに行くのでしょうか。ということで行き先を調べちゃいました。


しかしBUT越冬つばめ見たことない。おいらはタイで見ました、電線に群がっていてツバメって感じじゃない。例えればスズメだ。沖縄で見たぞ。これは単体でツバメだった。


ツバメだっておかしなのが生まれて来るからな、ジジイ見たく面倒くさいのがいるから、そのツバメがみんなが行くフィリピンまで行かず、手抜きおさぼりのだらしないのが越冬ツバメだな。日本で越冬ツバメが見られる所は宮崎・鹿児島・沖縄です。浜名湖でもいるけど関東ではニュースになります。冬に寒い地域では越冬ツバメは存在しないってこと。調査によればインドネシアからフィリピンらしい。


宮崎のフェニックスツバメにハイビスカス二にデイゴで越冬つばめ、恐ろしい光景ですわ。昌子ちゃんのイメージを壊すこと書いて、ごめんなさい。


タイで見たのは子作りしてた。日本にいる越冬ツバメは発情は年1回、タイにいくと2回のスケベツバメになるのかな。

思い出の佐賀県

新幹線いらない佐賀県ですから。あれれ掛尾温泉と嬉野温泉と鳥栖駅はどこだっけかな??


佐賀駅降りると、ファミマだらけです。ファミマ研究会のおいらにとってはいい街ですわ。駅前にはバスタターミナルがあり、博多へどんどこ出ています。定期まであるからね。佐賀に移住の広告もありますね。そこから出ている市営バスで南にいくと佐賀空港があります。


小さすぎる飛行場です。申し訳なさそうにANA5便が来ますけど、スプリングは撤退してしまい国際を名乗りながら国際線が一日1本強の可哀想な空港です。福岡空港は滑走路もう一つ作って便利になるからね。福岡空港の代替えになれない空港だから、多分おそらく赤字ですね。そろそろオスプレイ本拠地になって赤字補てんかも。


掛尾温泉、歩き回りました。ジジイは地方都市を徘徊するが好きです。何にもない土地ですよ。だから面白いのです。武雄温泉に行こうと思ったのはTSUTAYA図書館ですよ。今は騒がれていないけど、当時としては注目されていたんです。予想通りの結果でしたね。今の時代図書館の役割は終了したってことです。オワコンするのに。生きづらい所なんで人がいないんです。


その武雄に県立大学を作ろう地域活動をしてるポスターを見た時驚きましたね。ます、新幹線が来たからでしょうか。佐賀県としては九州各地で県立大学があり、ないのが佐賀県ですよ。やがて新幹線が博多まで繋がると武雄温泉は通過駅になってしまいます。長崎は定員割れ大学がいっぱいですが、学生を取れるんでしょうか。佐賀市から逆方向の学生が来てくれるのでしょうか。


県立大学が出来れば維持するにはお金がかかるんですよ。教授陣を確保できるのかな。経営情報系の大学みたいだけど、経営はすでにある大学で定員割れしてるし、情報と言っても文化系の情報ってパソコン遊びですか?某公立大でデータサイエンス学部を作るのにどれだけ大変だったか知っていますか?長崎や佐賀大はできる子が来ないから昔の栄光は消えつつあります。


有田に向かうガラガラ電車で、この県は周囲に翻弄されている。もっと県民の為に使ったらいい県になると思った。有田は有名なんだけど見るべきものは何もなかった。

思い出の徳島県

若かりしとき、どう生きるか迷っていました。そこで勧められたのが遍路です。ただそれだけで行ってしまったんです。壮大なロマンを探しに徳島にいったんですがね。


1番札所の霊山寺に行っても考えていました。次々とやってくるお遍路さんを見てたんです。一人で来る人を見て、一人で回れるのかな。団体がバスで来て、先達さんのご指導よろしく、売店に行き白装束になり、本堂に行き熱心に経を上げているんです。


朱印を貰いに行き、下山しバスに乗ってバイバイとなるんですね。バスツアーやタクシーの案内書では48箇所を4日で回るというのが最短だったかも、すると1日12箇所、こりゃ遍路じゃなくスタンプラリーだわ。


何か自分の世界とは違うんですよ。ここから先、どうしようか、動けないんです。仕方なく市内ホテルに戻りました。やっと心の整理ができたとき、旅の重さという映画に翻弄されていた自分が見えてきたのです。それで遍路は終わってしまったんです。高橋洋子主演の映画で、賭博役の高橋悦史が生き方ヘタで無口な役でした。無口でヘタな人生っていうのが当時は好きでしたね。秋吉久美子のデビュー作だったけどね。次の日はなると観光に行って、渦潮を見、一つの船ですからキャーキャー騒ぐ一員になっていたんですね。


私は今日まで生きてきました。私は今日まで生きてきました。
私は今日まで生きてきました。そして今、私は思っています。
明日からもこうして生きていくだろうと。


この年になってもこの歌は心にささったままです。世界の中心で愛を叫ぶこともできません。